雄
Expert Level 5
オプション
- 新着としてマーク
- ブックマーク
- 購読
- RSS フィードを購読する
- ハイライト
- 印刷
- 不適切なコンテンツを報告
11-27-2023 09:30 PM - 編集済み 11-28-2023 08:48 AM
ギャラリー日光東照宮は江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀っている日本全国の東照宮の総本社。
東照宮創建当初は、将軍家や大名以外ここから先に入ることは許されませんでした。
五重塔
慶安3年(1650年)に若狭小浜藩主 酒井忠勝候が奉納した五重塔が文化12年(1815年)に火災により消失し、文政元年(1818年)に子孫の忠進候により再建されたものが現在の五重塔です。
高さ35m、心柱は4層から鎖で吊り下げられ下端は礎石から浮いています。
木造建築の宿命である収縮により心柱が屋根を突き破ることを防ぐために江戸時代後期に発明された工法であり、地震や風による高層建築の振動を調整する機能も有する。
高さ35m、心柱は4層から鎖で吊り下げられ下端は礎石から浮いています。
木造建築の宿命である収縮により心柱が屋根を突き破ることを防ぐために江戸時代後期に発明された工法であり、地震や風による高層建築の振動を調整する機能も有する。
三神庫
三神庫は下神庫・中神庫・上神庫の総称で、寛永12年(1635年)に建てられました。下神庫は桁行7間、梁間4間、切妻、銅瓦葺き、中神庫は桁行9間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き、上神庫は桁行7間、梁間4間、切妻、銅瓦葺きで、三棟とも校倉造り(外壁が角材を菱形になるようして積み上げる工法で、湿度によって木材が伸縮する特性を利用している事から保存性が強く、倉庫や倉などに採用されました)、高床で内部には「百物揃千人武者行列」に使用される1200人分の装束や舞楽用の装束などが収められています。上神庫の屋根妻面には狩野探幽が下絵した「想像の象」の彫刻があり、「三猿」と「眠り猫」と共に日光三彫刻の1つとされています。三神庫は国指定重要文化財に指定されています。
上神庫
上には二頭の像が彫られています。
この二頭の像は、狩野探幽による下絵によるもので、まだ実際の象を目にする前に描かれたため、「想像の象」と呼ばれているそうです。
明治初年の神仏分離まで、日光全山は天台宗の日光山輪王寺の管理下にあり、東照宮も神仏習合でした。
その名残の建物が輪蔵(経蔵)で、一切経(大蔵経)1456部・6325巻がこの経蔵に収められていました。
輪蔵は、中国南北朝時代の傅大士が発明したもので、八角型の回転式書架である転輪蔵を一回転させると、収蔵する一切経(大蔵経)をすべて唱えたことと 同じ功徳があるとされていました。
一見すると2階建てに見えますが、下の屋根は庇状構造の裳階(もこし)です。
現存する輪蔵は、寛永13年(1636年)の寛永の造営の際、作事方大棟梁の甲良宗広が建てたといわれていますが、修理の際に元和6年(1620年)の大工墨書が発見されていることから、内部に関しては創建時の建物と推測できます(外部を寛永の造営で修築)。
徳川幕府造営の輪蔵(経蔵)としては、
その名残の建物が輪蔵(経蔵)で、一切経(大蔵経)1456部・6325巻がこの経蔵に収められていました。
輪蔵は、中国南北朝時代の傅大士が発明したもので、八角型の回転式書架である転輪蔵を一回転させると、収蔵する一切経(大蔵経)をすべて唱えたことと 同じ功徳があるとされていました。
一見すると2階建てに見えますが、下の屋根は庇状構造の裳階(もこし)です。
現存する輪蔵は、寛永13年(1636年)の寛永の造営の際、作事方大棟梁の甲良宗広が建てたといわれていますが、修理の際に元和6年(1620年)の大工墨書が発見されていることから、内部に関しては創建時の建物と推測できます(外部を寛永の造営で修築)。
徳川幕府造営の輪蔵(経蔵)としては、
慶長18年(1613年)築の増上寺が知られています(増上寺に現存)。
国宝 陽明門
日光東照宮は陰陽道に強い影響を受け、本殿前に設けられた陽明門と、その前の鳥居を中心に結んだ上空に北辰(北極星)が来るように造られています。またその線を真南に行けば江戸に着くとされ、さらに主要な建物を線で結ぶと北斗七星の配置になるよう設計されている。そのため、陽明門前の辺りが四神相応のパワースポットといわれています。
陽明門は建物全体がおびただしい数の極彩色の彫刻で覆われ、一日じゅう見ていても飽きないということから「日暮御門」と称されています。
陽明門天井の龍
国宝 廻廊
本社を取り囲む回廊(廻廊)は、陽明門と同様に寛永の造営、
寛永13年(1636年)に建立されたもので、
正保3年(1646年)の地震で本殿裏の石垣が崩れかかり、従来の石垣の前面に新たな石垣を築くため、取り除かれています。
現状では北側が欠落したコの字状で、内部は朱漆塗りの華麗な廊下になっています。
この廊下は、有名な眠り猫のある坂下門で左右を眺めれば、よくわかります。
蟇股(かえるまた)の彫刻は、奥宮の入口に配された眠り猫ほか霊獣・動物・花・鳥・果物など267体もあります。
回廊南面には日本最大級の花鳥の大彫刻25枚が飾られ、すべて一枚板の透かし彫りで極彩色が施されています。
東照宮の彫刻の中で、最も数の多いものが牡丹ですが、回廊にも牡丹が多く配されています。
回廊に施された彫刻には、国家安寧、平和への願いが込められいます。
現状では北側が欠落したコの字状で、内部は朱漆塗りの華麗な廊下になっています。
この廊下は、有名な眠り猫のある坂下門で左右を眺めれば、よくわかります。
蟇股(かえるまた)の彫刻は、奥宮の入口に配された眠り猫ほか霊獣・動物・花・鳥・果物など267体もあります。
回廊南面には日本最大級の花鳥の大彫刻25枚が飾られ、すべて一枚板の透かし彫りで極彩色が施されています。
東照宮の彫刻の中で、最も数の多いものが牡丹ですが、回廊にも牡丹が多く配されています。
回廊に施された彫刻には、国家安寧、平和への願いが込められいます。
陽明門の左右には桔梗紋の随神像
この随神像が実は明智光秀なのではないか?とも言われています。
1610年徳川家康に招かれて駿府城で講義を開いた天海僧正。これに感銘を受けた家康から帰依を受け、参謀としても重用されます。
そして、3年後の1613年に日光山の住職となり、1616年に家康が亡くなると、以前から残されていた遺言により、天海僧正は日光東照宮の造営に着手、1617年3月に完成します。
日光にある「明智平(あけちだいら)」、
そして日光東照宮にある「桔梗紋(光秀の家紋)」、また、天海僧正の出自に謎が多い点などから、天海僧正は、山崎の戦いで秀吉軍に破れた後にひっそりと生き延びて僧となった明智光秀ではないか?という説も生まれました。
史実としては否定されていますが、その秀でた才知は共通しているといえるかも知れません。
陽明門の柱
左側の柱だけ上下逆の逆柱になっています。
陽明門には12本の柱があり、
すべて『グリ紋』が施されています。
グリ紋様は中国の堆朱のデザインなどによく見られる曲線の文様ですが、 陽明門をくぐり終わる処、北側(背面)の西から二本目の柱だけ一本が逆さになっています。
逆柱は陽明門の一本だけとされていましたが昭和62年5月に本社の拝殿・石の間・本殿を仕切る16本の柱の中にも2本見つかりました。逆柱は合計3本あるそうです。
日光東照宮には逆柱や逆紋など、不完全なまま、未完成のままの状態で造られている物が数多くあります。
「満つれば欠ける」ということわざもあるように、「建物は完成と同時に崩壊が始まる」と考え、わざと未完成の状態にすることで災いをさけるために、一本だけ逆さにしたと言われています。 言わば魔除けのためです。 ただし、一般的には「逆柱(さかばしら、さかさばしら)」は縁起の悪いものとされているようです。
国宝 唐門の後ろには拝殿
日光東照宮は、社伝によると、
元和3年(1617年)徳川初代将軍 徳川家康公を御祭神にお祀りした神社です。
家康公は、天文11年(1542年)12月26日、
三河国岡崎城(愛知県岡崎市)でご誕生になり、幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立されました。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。
家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されお祀りされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍 秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後正保2年(1645年)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。
尚、現在の主な社殿群は、三代将軍 家光公によって、寛永13年(1636年)に造替されたものです。
元和3年(1617年)徳川初代将軍 徳川家康公を御祭神にお祀りした神社です。
家康公は、天文11年(1542年)12月26日、
三河国岡崎城(愛知県岡崎市)でご誕生になり、幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立されました。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。
家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されお祀りされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍 秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後正保2年(1645年)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。
尚、現在の主な社殿群は、三代将軍 家光公によって、寛永13年(1636年)に造替されたものです。
拝殿・石の間・本殿は、東照宮の中心となる建物で御本社とも呼ばれています。
拝殿は文字通り、神様に拝礼するための御殿です。構造は、屋根は入母屋造で正面に千鳥破風が付き、正面の向拝は軒が唐破風。豪壮な造りで、柱や粱などにも地紋彫が施され、細部に至るまでおびただしい数の彫刻や絵画、極彩色の文様で埋め尽くされています。
外部から見える彫刻では、唐破風下には
拝殿は文字通り、神様に拝礼するための御殿です。構造は、屋根は入母屋造で正面に千鳥破風が付き、正面の向拝は軒が唐破風。豪壮な造りで、柱や粱などにも地紋彫が施され、細部に至るまでおびただしい数の彫刻や絵画、極彩色の文様で埋め尽くされています。
外部から見える彫刻では、唐破風下には
家康公の干支にちなんで虎。向拝を支える左右の海老虹梁は、6メートルもある1本の龍の丸彫。柱の頭貫は龍・息の頭。千鳥破風内には2羽の鶴。東西の入母屋の妻飾りは波に犀。何れ劣らぬ優れた作品です。
向拝には3個の鈴が下がっていますが、
向拝には3個の鈴が下がっていますが、
江戸期は鰐口でした。神仏分離で鈴と取り替えられました。
内部は、中央の間が63畳、東(右)に将軍着座の間、西に法親王着座の間があり、いずれも18畳で、計99畳敷。この東西の着座の間には、それぞれ4面の額羽目と呼ばれる彫刻がある。欅の地板に、紫壇などの唐木の寄木細工(唐木象嵌)で鳳凰(東)・鷹(西)の彫刻が施されています。東照宮の彫刻中、最も芸術性の高い作品の一つです。
内部は、中央の間が63畳、東(右)に将軍着座の間、西に法親王着座の間があり、いずれも18畳で、計99畳敷。この東西の着座の間には、それぞれ4面の額羽目と呼ばれる彫刻がある。欅の地板に、紫壇などの唐木の寄木細工(唐木象嵌)で鳳凰(東)・鷹(西)の彫刻が施されています。東照宮の彫刻中、最も芸術性の高い作品の一つです。
唐門、石の間、拝殿、本殿は国宝に指定されています。
参拝後に授与して頂いた御朱印
御祭神
東照大権現(徳川家康公)
配神(相殿)
豊臣秀吉公
源頼朝卿
日光東照宮は日本全国の東照宮の総本社。その歴史は少なくとも源義朝による日光山造営までさかのぼるもので、東国の宗教的権威である歴史を背景に、徳川氏は東照宮を造営しました。家康が日光に祀られることになったのは家康本人の遺言からです。「遺体は久能山に納め、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして八州(日本)の鎮守となろう」と残されています。家康は不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと伝えられています。
重要文化財
銅灯籠(釣灯籠、蓮灯籠、廻転灯籠)
いずれもオランダ国からの奉納。
寛永13年(1636年)4月17日奉納と寛永御造営完成の日の銘があります。蓮灯籠は廻廊の銅羽目下の燭台と共に寛永17年(1640年)に奉納されました。平成12年(2000年)には日蘭交流400年を記念してアムステルダム国立美術館にて開催された特別展覧会に出品されています。
廻転灯籠の奉納は寛永20年(1643年)。
上部の葵紋が逆さになっている事から、
逆紋の廻り灯籠と呼ばれています。
寛永13年(1636年)4月17日奉納と寛永御造営完成の日の銘があります。蓮灯籠は廻廊の銅羽目下の燭台と共に寛永17年(1640年)に奉納されました。平成12年(2000年)には日蘭交流400年を記念してアムステルダム国立美術館にて開催された特別展覧会に出品されています。
廻転灯籠の奉納は寛永20年(1643年)。
上部の葵紋が逆さになっている事から、
逆紋の廻り灯籠と呼ばれています。
上部の葵紋が逆さになっています。
神輿舎は寛永12年(1635年)に建てられ、
桁行3間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き正面には軒唐破風が設えられる建物で反対側にある神楽殿と対になっています。
黒と金を基調とし高欄は朱色、組物、彫刻、欄間は極彩色で彩られ、内部には千人行列で渡御する徳川家康(中央)、豊臣秀吉(左)、源頼朝(右)を祭った神輿が安置されています(往時の神輿は1トン以上あり担ぐ事が困難になった為、昭和40年(1965年)に800キロの神輿が新調され、例祭である「千人武者行列」は元和3年(1617年)久能山から日光に徳川家康の御霊を遷す際行なわれた行列を模したもので約1200人が参加します)。天井には狩野派が描いた天人舞楽が描かれていて神輿が無い時真下で手を叩くと鳴き龍現象が起こるそうです(天女の天井画として日本一の美人画とされ、鳴き龍は「天女のささやき」とも言われています)。神輿舎は大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
三基の神輿
中央が徳川家康
左が豊臣秀吉
右が源頼朝
三猿
「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な三猿は「自分に都合の悪いこと、人の欠点や過ちなどは、見ない、聞かない、言わな
いのが良い」という教えから来ています。
国宝 眠り猫
徳川家康公の墓所がある奥社への参道入り口、東回廊潜り門に掲げられています。
「眠り猫」実は家康を護るために寝ていると見せかけ、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれていますが、もう一つの教えとして、裏に雀の舞っている彫刻があり、牡丹の花咲く下に日の光を浴びて子猫が安眠し雀が戯れる様子から、強い者が弱い者を虐げることのない共存共栄の平和な世の中を表現していると考えられています。
眠り猫から207段の石段を登って行くと奥宮拝殿と家康公が眠る墓所があります。
奥宮拝殿
御祭神
東照大権現(徳川家康公)
奥宮拝殿の後ろに徳川家康公が眠る墓所があります、
当初は歴代将軍以外、何人たりとも進入する事が許されなかった神聖な場所でした。
鋳抜門(いぬきもん)の向こうに見えるのが徳川家康公が眠る墓所。
奥社宝塔(御墓所)
徳川家康公の墓所。
徳川家康公の墓所。
昭和40年、東照宮350年祭を機に公開された。8角5段の石の基盤の上に更に3段を青銅で鋳造し、その上に宝塔を乗せています、当初は木造、その後石造に改められたが、天和3年(1683年)の地震で破損したため鋳工 椎名伊豫(しいないよ)が製作した現在の唐銅製(金、銀、銅の合金)に造り替えられました。塔の前には鶴の燭台、唐獅子の香炉、花瓶からなる三具足が据えられています。
参拝後に頂いた御朱印
世界遺産 日光東照宮、良い参拝が出来た事に感謝します。長い投稿を見て頂きありがとうございます。
5個のコメント
ポンポネッラ
Active Level 10
オプション
- 新着としてマーク
- 購読
- RSS フィードを購読する
- ハイライト
- 印刷
- 不適切なコンテンツを報告
11-28-2023 08:03 AM
ギャラリー
初めまして😊
お邪魔します🤭
こちら☝の📸と説明は永久保存版です🤩👍
綺麗な写真と丁寧な説明......凄く感動しました(*^^*)
こういうスポットって行ったら📷撮ったり説明を読んだりするけど直ぐ忘れがちなので...🤫
まるでガイドさんに案内💁されながらその場に居るようなリアル感じです🥰
参考になる内容を届けてください、有難うございます!🥹🙏
お邪魔します🤭
こちら☝の📸と説明は永久保存版です🤩👍
綺麗な写真と丁寧な説明......凄く感動しました(*^^*)
こういうスポットって行ったら📷撮ったり説明を読んだりするけど直ぐ忘れがちなので...🤫
まるでガイドさんに案内💁されながらその場に居るようなリアル感じです🥰
参考になる内容を届けてください、有難うございます!🥹🙏
雄
Expert Level 5
オプション
- 新着としてマーク
- 購読
- RSS フィードを購読する
- ハイライト
- 印刷
- 不適切なコンテンツを報告
11-28-2023 08:43 AM
ギャラリー
おはようございます🙇
はじめまして🙇
世界遺産の日光東照宮は投稿で見るよりも、実際に足を運んで見た方が良い場所です👍
日光東照宮にはいまだにはっきりと解明されていない場所もいくつかある謎多き所です。
ここは徳川家康公の霊廟なのでもし、何かの機会がありましたら、世界遺産 日光の社寺
日光東照宮、二荒山神社、日光山 輪王寺に是非足を運んでみて下さい。
投稿を見て頂き素晴らしいコメントありがとうございます🙇今後も良いお時間をお過ごし下さい👍
はじめまして🙇
世界遺産の日光東照宮は投稿で見るよりも、実際に足を運んで見た方が良い場所です👍
日光東照宮にはいまだにはっきりと解明されていない場所もいくつかある謎多き所です。
ここは徳川家康公の霊廟なのでもし、何かの機会がありましたら、世界遺産 日光の社寺
日光東照宮、二荒山神社、日光山 輪王寺に是非足を運んでみて下さい。
投稿を見て頂き素晴らしいコメントありがとうございます🙇今後も良いお時間をお過ごし下さい👍
arioo
Expert Level 5
オプション
- 新着としてマーク
- 購読
- RSS フィードを購読する
- ハイライト
- 印刷
- 不適切なコンテンツを報告
12-07-2023 12:16 AM - 編集済み 12-07-2023 12:17 AM
ギャラリー
雄さま
こんばんは
陽明門
彫刻が綺麗
柱が逆さま
知らなかった
天井の 🐉 👍️
御朱印もいいです
こんばんは
陽明門
彫刻が綺麗
柱が逆さま
知らなかった
天井の 🐉 👍️
御朱印もいいです
雄
Expert Level 5
オプション
- 新着としてマーク
- 購読
- RSS フィードを購読する
- ハイライト
- 印刷
- 不適切なコンテンツを報告
12-07-2023 07:01 AM - 編集済み 12-07-2023 07:02 AM
ギャラリー
おはようございます🙇
逆柱、逆紋など、東照宮は未完成のままの所が数多くあります。
東照宮では昇り龍 🐲下り龍 🐲も逆向きで、
下を向いているのが昇り龍になっていて、
『偉大な人ほど頭を垂れる』
という意味があるそうです。
今回は時間の都合で寄れなかったのですが、
次回行った時には二荒山神社と輪王寺にもお参りしようかと思ってます。
コメントありがとうございました🙇
今日も良い1日をお過ごし下さい 👍
逆柱、逆紋など、東照宮は未完成のままの所が数多くあります。
東照宮では昇り龍 🐲下り龍 🐲も逆向きで、
下を向いているのが昇り龍になっていて、
『偉大な人ほど頭を垂れる』
という意味があるそうです。
今回は時間の都合で寄れなかったのですが、
次回行った時には二荒山神社と輪王寺にもお参りしようかと思ってます。
コメントありがとうございました🙇
今日も良い1日をお過ごし下さい 👍
arioo
Expert Level 5
オプション
- 新着としてマーク
- 購読
- RSS フィードを購読する
- ハイライト
- 印刷
- 不適切なコンテンツを報告
12-08-2023 02:15 AM
ギャラリー
なるほど❗
頭を垂れる稲穂……
偉大な人ほど👍️
🐉👍️
ふたあらやま……
ご投稿楽しみにしてます😃
頭を垂れる稲穂……
偉大な人ほど👍️
🐉👍️
ふたあらやま……
ご投稿楽しみにしてます😃