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05-05-2024 06:55 PM - 編集済み 05-06-2024 10:14 PM
ギャラリー栃木県鹿沼市 古峯ヶ原(こぶがはら)に鎮座する古峯神社(ふるみね神社)に神札返納と御礼参りに1泊2日の参籠に伺いました。
参籠(さんろう)とは
神社・仏閣などにあらかじめ定めた日数の間とじこもって心身をきよめ祈願し修行すること。俗に「おこもり」とも言います。
参籠の歴史は、平安時代初期に始まったとされています。平安時代初期には、神社や仏閣に参籠して祈願する者が多く、参籠堂と呼ばれる施設も存在していました。
参籠の歴史は、平安時代初期に始まったとされています。平安時代初期には、神社や仏閣に参籠して祈願する者が多く、参籠堂と呼ばれる施設も存在していました。
境内に流れる大芦川は水の透明度が非常に高く、関東一の清流とも言われています。
腰を上げ今にも飛びかかりそうな姿勢の構え狛犬(構え獅子)
特に出雲地方に多く見られる事から
『出雲型構え狛犬』とも言われています。
拝殿
古峯神社(無格社)
御祭神 日本武尊(古峯大神)
眷属神(神使い)
大天狗
烏天狗
社伝によると
今を去る1300余年の昔、藤原隼人というお方が京都からこの地に移り、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の御威徳を慕いつつ、京都よりこの古峯ヶ原の淨地に遷座(創祀)申しあげたのが始まりといわれております。
その後、古峯ヶ原は、日光を開かれた勝道上人という僧侶の修行の場となり、上人は古峯の大神の御神威によって、古峯ヶ原深山巴の宿において3ヶ年の修行の後、天応2年(西暦782年)日光の男体山に初めて登頂し大日光開山の偉業を成しとげられました。
この縁起にもとづき、日光全山26院80坊の僧坊達は、勝道上人の修行にあやかって、年々古峯ヶ原(古峯神社を中心)に登山、深山巴の宿で祈願を込め修行する慣わしとなり、その修行は明治維新に至るまで、千余年の永きに亘って行なわれました。
古峯神社はこのような古峯大神のご利益の顕著を以って全国稀にみる霊地として、火伏信仰、天狗信仰などに代表する諸人の敬虔な信仰を集め、久しきにわたってその御神威を保って参りました。明治初年には太政官布告により、神仏分離が行なわれ、仏具一切を取り除き、純然たる古峯神社となり、現在にいたっております。
その後、古峯ヶ原は、日光を開かれた勝道上人という僧侶の修行の場となり、上人は古峯の大神の御神威によって、古峯ヶ原深山巴の宿において3ヶ年の修行の後、天応2年(西暦782年)日光の男体山に初めて登頂し大日光開山の偉業を成しとげられました。
この縁起にもとづき、日光全山26院80坊の僧坊達は、勝道上人の修行にあやかって、年々古峯ヶ原(古峯神社を中心)に登山、深山巴の宿で祈願を込め修行する慣わしとなり、その修行は明治維新に至るまで、千余年の永きに亘って行なわれました。
古峯神社はこのような古峯大神のご利益の顕著を以って全国稀にみる霊地として、火伏信仰、天狗信仰などに代表する諸人の敬虔な信仰を集め、久しきにわたってその御神威を保って参りました。明治初年には太政官布告により、神仏分離が行なわれ、仏具一切を取り除き、純然たる古峯神社となり、現在にいたっております。
倭健命(やまとたけるのみこと)の西征
倭健命は敵から貰った名前。
倭健命は第12代景行天皇の皇子で、もとの名を小碓命(おうすのみこと)という。
彼には、大碓命(おおうすのみこと)という兄がいた。あるとき景行天皇は、大碓命に命じて兄比売(えひめ)と弟比売(おとひめ)の姉妹を召そうとしたが、大碓命は二人の乙女を自分のものにしてしまう。
その後、景行天皇は大碓命が食事に顔を出さないので小碓命に「兄を教えさとして来い」と命じたが、大碓命は姿を見せない。景行天皇がいぶかると、小碓命は「兄さんなら厠に入った時に殺して、手足をもぎとってから捨てましたよ」と答えた。
これを聞いた景行天皇は小碓命の猛々しさを恐れ、「西方に二人の熊曽健(くまそたける)がいる、彼らは朝廷に従わないから討ち取れ」と命じた。熊曽健は九州の土着民で、「健」とは勇猛な者を意味する。このとき小碓命はまだ額の位置で髪を結った少年(15歳前後)であった。小碓命は叔母の倭比売命(やまとひめのみこと)の衣服をもらい、剣を手に出立した。
熊曽健の本拠地に来ると、軍勢が三重に取り囲み、新居完成の祝宴の準備をしていた。
そこで小碓命は、叔母の衣服を身に付けて祝宴の席に忍び込む。熊曽健の兄弟は、小碓命を乙女だと思い込んで呼び寄せ、二人の間に座らせた。すかさず小碓命は懐から剣を取り出して、熊曽健の兄のほうの衣をつかみ、胸を刺して殺した。弟のほうは逃げ出したが、小碓命は追いかけて背中の皮をつかんで尻から刺した。手傷を負った熊曽健は、小碓健に「お 前は何者だ?」と問い、小碓命は自分が天皇の命で遣わされた皇子だと正体を明かす。熊曽健は、「西方では我ら兄弟より猛く強き者はなかったが、大和に我らより強い者がいたとは、お 前はこれより倭健命と名乗るがよい」と語ったのちに殺された。
これ以降、小碓命は倭健命と呼ばれる。
このあと倭健命は出雲に行き、同地の出雲健を討つ。
『日本書紀』では倭健命は日本武尊と記され、倭健命の西征に先だって景行天皇が自ら軍を率いて熊襲討伐を行ったとされている。また、倭健命による出雲征伐の話は記されていない。
倭健命の東征
倭健命が景行天皇のもとに戻ると、今度は
「東方にある十二国を平定せよ」と命じられる。倭健命は伊勢神宮に立ち寄り、叔母の倭比売命に「父は私が死ぬことを望んでいるのか」とこぼし、倭比売は草薙剣(くさなぎのつるぎ)と火打ち石の入った袋を授けた。
東へ旅立った倭健命は、途中の尾張国で美夜受比売(みやずひめ)と婚約する。
さらに相模国まで来たとき、同地を治める国造(くにのみやつこ)に騙されて草原で火攻めにされた。しかし、草薙剣で草を払い、火打ち石で火をつけて逆に国造を火攻めにして斬り殺した。それゆえに、この地は焼津と呼ばれる。さらに倭健命は走水海『はしりみずのうみ(現在の浦賀水道)』に至るが、海神が波を起して船が進めなくなる。
このとき、倭健命の妃となっていた弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)が「神の怒りをしずめるために、私が皇子の身代わりとなって海にはいりましょう。皇子は命じられた東征の任務を成し遂げて、天皇に御報告なさいませ」と進言し身投げすると荒波は静まった。
引き続き倭健命は東国に住む蝦夷(えみし)の民を平定し、帰りぎわ「吾妻はや(わが妻よ)」と言った。ここから転じて、東国を「あずま」と呼ぶようになったという。
倭健命は、尾張まで戻ると往路での約束通りに美夜受比売と結婚し、草薙剣を預ける。そして現在の岐阜県と滋賀県の県境にある伊吹山の神を討ち取りに行った。しかし、山の神は激しく氷雨を降らせ、倭健命は前後不覚に陥ってしまう。
長い戦いで疲れはてた倭健命は鈴鹿郡の能煩野(のぼの)まで来たところで力尽きて倒れてしまう。
この地で大和国を思い返し、「倭は国のまほろば たたなづく 青垣山籠りれる 倭しうるわし」
という故郷の歌と美夜受比売に託した草薙剣を案じる歌を遺して息絶えた。
死した倭健命は白鳥となって羽ばたき、河内国の志幾へ降り立ったのち天に飛び立った。
このため同地に墓が築かれ、これは『白鳥御陵』と呼ばれている。
『日本書紀』では倭健命は東征の担当者として兄の大碓命を推した。しかし、大碓命は草むらに隠れてしまい、倭健命が東征に向かう。また、景行天皇は『古事記』よりは倭健命に優しく、武器と部下を与えている。
古峯園入り口
古峯神社の境内には25,000坪の日本庭園
『古峯園(こほうえん)』があり9:00~17:00開園で拝観料500円
前回は拝観しましたが今回は時間ギリギリの到着だったので、断念。次回参拝の時にまた拝観しようと思います、
今の次期は花菖蒲が見頃です。
拝殿右側が玄関になっておりここから中に入ると、社務所、祈祷所、休憩所、食事会場、宿泊施設(宿坊)があります。
古峯神社は一般参拝でも中に入り、拝殿内での参拝、休憩、食事を堪能する事が出来ます。
社務所に16時過ぎに到着し、まず神札と御守を返納し、宿泊の受け付けと新しく授与して頂く神札の申し込みをしました。
申し込んだ神札は翌朝8時より執り行われる
『一番祈祷』で授与して頂けます。
天狗の間
古峯大神(日本武尊)の神使い
天狗を御神体として祀る部屋でこの大きな天狗面は江戸時代に作られ奉納された物です。
左が烏天狗、右側が大天狗
去年はこの天狗の間で参籠をさせて頂きました。
参籠1日目の行事は拝殿内で重要神事
「奉納の舞」が執り行われました。
奉納の舞とは1日の出来事を神様に奉納する神事です。
神事なので写真、動画の撮影、録音は禁止、スマホはマナーモードで着信音が出ないように設定。これらの決まりが守れない場合は神事を中断するそうです。
ここで翌朝8時時から一番祈祷を行います。
神事 奉納の舞の後に頂いた御朱印
聖なる火 不滅の御神火
今夜宿泊する宿坊は大部屋『表上段 西』
部屋の中は12畳あり、日光ヒバの独特な香りが立ち込めています。
テレビやテーブルはありません。
古峯神社の参籠施設は一夜に800人程泊めても有り余る程で、個室にはテレビとテーブルが置かれています。
右隣が天狗の間、左隣が祈祷所になっています。
潔斎場
参籠はホテルや旅館ではないので温泉ではない清め湯で良い湯加減でした。
夕食は神様にお供えされた
『神饌』のおさがりを頂く事ができます。
御神酒と盃も頂けます。お品書きはないですが瓶ビールの注文も出来ます。
深夜の拝殿祈祷所
AM0:50分頃
本当はもっと真っ暗ですがナイトグラフィーで撮影したらこのように撮れました。
宿坊の渡り廊下は総檜張り
正面奥に見えるのが社務所、階段上がって右側が祈祷所
真夜中の天狗の間
AM0:50
次回は参籠2日目、
一番祈祷と奥宮参拝の投稿をしようと思います。
古峯神社 『参籠』
1泊2食付き、神事 奉納の舞、一番祈祷込み
大部屋8,000円
個室10,000円
神札、御朱印などは別途料金
一名からでも利用可。
*事前予約厳守
長い投稿を見て頂きありがとうございます。
4個のコメント
arioo
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05-06-2024 12:51 PM
ギャラリー
雄さま
こんにちは👋😃
構え獅子
👍️📷️ですね
大部屋
広いですねヒバの香り
宿坊広く
総檜立派な作りですね
たくさん良い📷️
拝見でき
ありがとうございました
お疲れさまでした
こんにちは👋😃
構え獅子
👍️📷️ですね
大部屋
広いですねヒバの香り
宿坊広く
総檜立派な作りですね
たくさん良い📷️
拝見でき
ありがとうございました
お疲れさまでした
雄
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05-06-2024 01:10 PM - 編集済み 05-06-2024 01:14 PM
ギャラリー
こんにちは 👋 😃
参籠や御朱印など値段が上がりました。今までがかなり安かったので仕方ない事だと思いますが。値段相応だとおもいました☺️
おさがりの写真のせるの忘れてました😅
今回は参籠者と朝の一番祈祷は沢山いましたね 😉
参籠はなかなか経験出来ないので良い教訓になりました🙇
参籠や御朱印など値段が上がりました。今までがかなり安かったので仕方ない事だと思いますが。値段相応だとおもいました☺️
おさがりの写真のせるの忘れてました😅
今回は参籠者と朝の一番祈祷は沢山いましたね 😉
参籠はなかなか経験出来ないので良い教訓になりました🙇
arioo
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05-06-2024 09:53 PM
ギャラリー
今は
お参り⛩️伺えないですがー
いつの日か参籠が出きるようになりましたら
経験したいです
いい📷️お写真
ありがとうございました
お参り⛩️伺えないですがー
いつの日か参籠が出きるようになりましたら
経験したいです
いい📷️お写真
ありがとうございました
雄
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05-06-2024 10:03 PM
ギャラリー
参籠はなかなか経験できないので一度は経験した方が良いですよ😉いつかは経験出来ると良いですね☺️