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常陸國 水戸八幡宮 参拝

(09-04-2022 07:19 PM で作成されたトピック)
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水戸八幡宮に参拝に伺いました。

こちらの八幡宮は常陸水戸藩による八幡潰しを免れた四社八幡社の一社です。

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襟を正し、身だしなみを整え、揖を行い鳥居をくぐります。

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随神門(市指定重要文化財)
切妻造りの四脚門で、左右に随神社が付属し、屋根はこけら葺形銅板葺。
建立は宝暦七年(1757年)

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手水舎

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ここで、手と口を清めます。

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随神門の欄間彫刻には色彩の痕跡

拝殿及び幣殿は安永四年(1775年)建立
(市指定重要文化財)

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拝殿

水戸八幡宮の由緒は社伝によると
文禄元年(1592年)
出羽国久保田藩主 佐竹義宣公によって創建されました。
義宣公は天正十八年(1590年)に水戸城主の江戸氏を滅ぼし、翌十九年に常陸太田より水戸に居城を移し、その翌年の文禄元年(1592年)に氏神として崇敬していた常陸太田鎮座の馬場八幡宮より、八幡大神を水戸城内に奉斎しました。のち八幡小路(現在の北見町)を聖域と定め、慶長三年(1598年)に御本殿を建立し、水府総鎮守の神と定めました。
慶長七年(1602年)佐竹氏が秋田へ移封され水戸は徳川家の所領となる。

徳川時代、
元禄七年(1694年)には、
常陸水戸藩二代藩主 徳川光圀公の社寺政策の命により、那珂西村(現在の城里町那珂西)へ御本殿始め移遷されましたが、
宝永六年(1709年)三代藩主 徳川綱條公の時代になり、正神主田所修理清澄をはじめ氏子等の請願により那珂西から再び水戸に遷座され、現在の白旗山神域に鎮斎されました。
なお、水戸に再遷座される際、白鶴一羽が舞い降りて数刻翼を休めたため、これを霊瑞とみて西方の現在の位置に改めたという伝承がある
以来、水戸藩主代々の崇敬社で、農、工、商の神、また厄除、子育て、戌亥年生まれの守護神として信仰されています。

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御祭神は
誉田別尊(ほんだわけのみこと)
息長足日売尊(おきながたらしひめのみこと)
姫大神(ひめのおおかみ)

二礼二拍手一礼の作法で参拝しました。


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常陸水戸藩『八幡潰し』

常陸水戸藩の第二代藩主 徳川光圀公は、
寛文年間(1661年~1673年)
社寺整理と『一村一鎮守制の確立』を目指しました。明治初年の神仏分離令、廃仏毀釈を先取りしたような政策でしたが、
その目的は、村の鎮守社から仏教的な要素を追放して神社を純化すること、すなわち神仏習合の粛清でした。

具体的には、
①仏教的な御神体を神道的なものに改める
②神社を管理する者を確定する
③八幡社を整理する
④すでにおこなわれている一村一鎮守制度を確定する

新興のいかがわしい宗教施設、邪教、淫祠の取り潰しが主眼でした。

第三代藩主 徳川綱條公もこの政策を継承し、発展させました。
元禄年間(1688年~1703年)には神社からの仏教的性格の払拭、特に八幡社の取り潰しを主な政策としました。

徳川光圀公隠居後の元禄年間の政策は、
「神社改め」「鎮守改め」「八幡改め」などとも。非難的に言及する場合は
「八幡潰し」とも呼ばれました。

この改革により、水戸藩域105社の八幡社のうち101社が取り潰しとなりました。その内訳は、廃社6社、神名変更86社、合祀または摂末社としての遷座9社。

取り潰しを免れた4社が、水戸藩「八幡潰し」をくぐり抜けた茨城県の八幡神社四社です。

水戸藩「八幡潰し」は現在、明治の神仏分離令よりも厳しすぎた措置として非難的に取られることが多い。

また、光圀公が行ったとの論調も多いが、実際には綱條公による実施です。
ただ、光圀公が明治を先取って、廃仏毀釈を始めたその延長線上にあったとは言えるかもしれません。

なお、八幡社が標的にされた理由としては、八幡信仰が神仏習合と密接であったことに加え、水戸徳川家の前に500年近くにわたって水戸藩域を支配してきた佐竹氏が地域の土着神や旧来の豪族が崇敬する神に代わる形で八幡社を広めた経緯があり、
旧支配層(佐竹氏)との関係を断ち切る意図があったとする指摘もある。

八幡潰しを免れた常陸國の八幡社四社
『馬場八幡宮』
源頼義が創祀、江戸期以前の本殿が現存
常陸太田市馬場町

『水戸八幡宮』
天然記念物「オハツキイチョウ」
水戸市八幡町

『若宮八幡宮』
太田郷鎮守、巫女舞や大ケヤキ
常陸太田市宮本町

『安良川八幡宮』
平安中期創建、樹齢1000年の爺杉
高萩市安良川

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本殿(国指定重要文化財)
慶長三年(1598年)佐竹義宣公により建立。


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参拝後に頂いた御朱印
御葉付公孫樹に水戸八幡宮


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国指定重要文化財
天然記念物の御葉付公孫樹(おはつきいちょう)

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「八幡なる神の社の御葉付の公孫樹のごとく千代に栄えむ」と和歌に詠まれる御神木
御葉付公孫樹(おはつきいちょう)
樹齢約800年、樹高42m、幹周り9mという巨木で、秋の黄葉が素晴らしい。雌木で多数の実を結ぶが、希に葉先に実を生じるところから、この名がついた。往古、遣唐使が持ち帰った五本の一つと伝えられる。幾本もの乳根が垂れ下がり、樹勢の雄大風格ある姿は同種類中全国第一と言われる事から日本一の大いちょうとも呼ばれている


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茨城百景 烈公御涼所


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水戸指定天然記念物の大ケヤキ
八幡宮の大ケヤキ

この大ケヤキは、八幡宮境内にあり、神木として大切に守られています。
樹高は約30m、幹周は5.75m、
樹齢はおおむね400年。

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水戸市街

茨城百景 烈公御涼所からは水戸市街地が一望できるようになっていました。
まだまだ投稿したい写真がありますが、投稿しきれませんでした。

水戸八幡宮は常陸水戸藩八幡潰しを免れた貴重な八幡宮として常陸國寶(常陸國の宝)とも呼ばれ、人々に親しまれ大切にされています。とても良い所だったのでまたいつか参拝に行こうと思います。

長い投稿を見て頂きありがとうございます。
6個のコメント
kanata39
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凄い詳しいんですね😌
天気も良くて青空と合ってます
行ったこと無いな😓
雄
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こんばんは
コメントありがとうございます🙇
天気は良かったですが相変わらず暑かったです☀️😲
でも良いお参りが出来ました。
ここの八幡宮は良い所なので機会があれば是非一度👍

社号に『國寶』と刻まれているのが印象的でしたね

国宝の八幡宮とは違いますけどね。
とめ
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おはようございます🙋

水戸八幡宮にお詣りさせていただきました 🙏
豪華で凄く立派な神社ですね🙆
八幡潰しの話面白かったです。
八幡潰しの目的は、旧支配層との関係を断ち切るためだったというのは大いに頷ける説のように思えました👌

鳥取県の日南町にある大石見神社には、葉の上に実をつけたり、二つ実をつけたりする「オハツキタイコイチョウ」というのがあり、こちらは樹齢600年で県の天然記念物になっています 👌
いつかその実を拾って御守りにでもしたいと思ってるのですが・・・ 😅

この度も勉強させていただき、ありがとうございました🙇

今日も良い1日を・・・ ✌️
雄
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おはようございます🙋いつも投稿見て頂きコメントありがとうございます🙇
徳川光圀公(水戸黄門様)は天下の副将軍とも言われていた存在だったらしいですが、

この水戸八幡宮は社寺改革で取り潰しを免れた一社なので、貴重な八幡宮とされています。
社号になぜか【國寶】と書かれていました。
なぜこのような社号にしたのか分かりませんけど、 国宝ではなく常陸國の寶という意味合いからだそうです。
紛らわしですけどね 😅

大石見神社の樹齢600年オハツキタイコイチョウ、さくらんぼ 🍒のように二つ実をつけたりすんですかね??珍しいイチョウですね 👍
イチョウは実の匂いが独特ですけどね 😅

今日も良い1日をお過ごし下さい🙇20220904_133533_resized_10482_1662266134.jpg
arioo
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國寶 八幡宮

👀‼️
大ケヤキ

立派ですね

こんなに大きい
御神木
初めて…👍

天然記念物なのですね

おはつきいちょう👍
🍂 

御朱印
達筆🖌
👍

お天気☀️
綺麗に📷👍

良いご投稿ありがとうございます📷

とても良いお時間でしたね😊
雄
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おはようございます🙋
いつも投稿見て頂きコメントありがとうございます🙇

國寶となっていますが、国宝には認定されておりません。常陸國の寶と言う意味合いみたいですね。紛らわしいですけど 😅

水戸八幡宮は、水戸黄門様の八幡潰しを免れた一社なので、貴重な八幡宮みたいですよ

オハツキイチョウは凄く立派な御神木でしたね。

境内も凄く広くて良い所でした 👍

今日も良い1日をお過ごし下さい 👍