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延喜式内社 伊香保神社参拝

(04-25-2022 07:16 AM で作成されたトピック)
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雄
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伊香保温泉♨️にある伊香保神社に参拝に伺いました。

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365段の石段。真ん中の茶色いのは伊香保の源泉が流れています。

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伊香保の源泉

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365段のぼりきった所に伊香保神社が鎮座しています。

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鳥居の前で一礼してから中に入ります。

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拝殿
伊香保神社の御祭神は
大己貴命 (おおなむちのみこと)
少彦名命 (すくなひこなのみこと)

伊香保神社は第11代 垂仁天皇朝(紀元前29年~70年)時代に開起されたと伝えられてい る。弥生時代のこの頃の祭神は、山の神(大山津見神)であったと言われている。

律令制度ができ、整うころの飛鳥・奈良時代にかけて、全国的に国司が派遣されてから伊香保神社の祭神は、大国主命・少彦名命の二柱を祀るようになった。尚、この二柱の神は温泉の湧出する地域に多く祀られるようになり、伊香保もその例外ではなかった。
律令制度には、太政官と神祇官がおかれた。 神祇官は神々の信仰をつかさどる機関で神祇官により管理された神社を官社と言った。
平安時代・延長5年(927年)に完成した延喜式神名帳には、2861社の官社(これらを式内社といった)が記載され、伊香保神社もこの中に登場している。

承和2年(835年) 9月19日、第54代 仁明天皇朝(833年~850年)に伊香保神社は名神大社を授けられた
名神大社はとくに霊験あらたかとされた神を名神(明神)と呼び、これを祀る神社のことを言った。 尚、式内社の内224社が名神大社となった。

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神に対して朝廷から位階を与えられる制度もできた(神位または神階)正一位から正六位上までの十五階の制度であった。
伊香保神社は、仁明天皇朝・承和6年(839年)6月、従五位に列せられ、累進して
第57代 陽成天皇朝(876年~884年)元慶4年(880年) 従四位に、第91代 後宇多天皇朝 (1274年~1287年) 建治元年(1275年) 正一位に列 せられた。

その後、律令制度がゆるみはじめ、これとともに官社制度も次第に名目的となり、神社の管理が中央だけでなく地方へも移るようになった。 官社は官幣社(神祇官の管理下の神社で畿内に集中)と、国幣社(それぞれの国の管理で国司が必要な費用をまかないその任に当たった)に分けられた。やがて神社の管理は自由となり神前で、僧侶が読経する神前読経も行われるようになり、神社祭祀が多様化する流れの中で、古代の神祇制度は崩壊していくようになった。

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古代の神祇制度の変質の流れの中で中世に入り、総社・一宮制が生まれた。
畿内(大君(おおきみ)や天皇が住む都の周辺の地域を指す呼称)には有力神社が集中し、これらの神社は天皇家・貴族が支えた。地方ではそれぞれの国の国司に任じられた畿内に住む貴族たちが赴任しなくなったため、その国に住む領主が実質的に神社の実務などの行政も行うようになった。このような中で生まれた神社政策が総社・一宮制度である。
鎌倉時代初期、大和国 大神神社、
常陸国 鹿島神宮、信濃国 諏訪大社、
下総国 香取神宮などのように、一宮制ができたがこれに準ずる二宮・三宮・・・・を定める国もあった。上野国は十二宮を定め、伊香保神社は一宮 貫前神社、
二宮 赤城神社について三宮 伊香保神社となった。

室町時代、応仁の乱 (1467年~1477年) からはじまり、戦国時代の約一世紀の間、 荘 園領主によって支えられていた総社・一宮の儀礼も乱れたが、延暦寺等の密教を中心とする 旧来の仏教は圧倒的な力を持ち、神社は寺院に対して従属的な立場に立つことが多くなった。 やがて神社は武士によって管理されるようになった。
戦国時代から織田・豊臣政権そして徳川幕府へと統一した政権になると神社制度も新たな段階をむかえた。 吉田神道のもとに大半の神職は統一された。 吉田神道は、神道・儒教・仏教は究極的に一致するという三教が、一致する思想を基盤として成立し、人を神としてまつることも推進した。また、江戸時代には神社の勧請があちこちにみられた (例として稲荷社・八幡神社・諏訪大社等) 。応仁から戦国にかけて途絶えていた大嘗祭や式年遷宮も再興された。


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拝殿と本殿

江戸幕府の崩壊後明治初期の宗教政策は、神道の自主制を高めることであった。明治元年 (1868年) 神仏分離令などで神社崇敬を宗教政策の中心に据えた。これにより神社と寺院、 神職と僧侶とが分離され、長くつづいた神仏習合状態が一挙にかえられることになった。

このようにして制定された近代社格制度で政府管轄の神社 (官幣社) 地方官管轄の神社 (国幣社) 地方公共団体管轄の神社 (府県社) などができ、伊香保神社は県社を賜ることとなった。ちなみにこの時代の神社の総数は約11万社あったといわれている。また神位制度はこ の時代に廃止された。

現在、神社は、基本的に国家とのつながりが切れ民営化されている。その結果、国家による社格制度は廃止され、官幣社、国幣社という制度はなくなった。また、神社総数は全国に 約8万社あるが、ほとんど神社本庁の傘下にある。

神位・社格制度などは以上であるが、昔も今もかわらずにあるのは御祭神であり、また神々の霊験あらたかなことも永遠に変わらない。

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お参りは二度礼をして二度柏手(かしわで)を打ち、最後にもう一度礼をする、
二礼二拍手一礼の作法で行いました。

神様に対しても人に対しても、礼に始まり礼に終わる事はとても重要な事です。
 


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参拝後に頂いた御朱印
長寿の鶴と真心の亀が描かれています。


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温泉は100%源泉かけ流し
伊香保の温泉は黄金色の黄金の湯と呼ばれ、
熱すぎず、ぬるすぎず、丁度よい湯加減です。
 

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長い投稿になりましたが見て頂きありがとうございます。
5個のコメント
とめ
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こんにちは👋

長篠の戦いの翌年に石段坂が作られて温泉街が形成されたって凄いですね👀
その石段坂に与謝野晶子の詩歌が刻まれているのも面白いです🙋
有名な伊香保温泉ですが、知らないことばかりでした🙆
伊香保神社にお詣りする機会をありがとうございました🙏
大国主命と少彦名命が温泉街が湧出する地域に多く祀られるということに興味を持ちました🙋
こらからはそういう視点でも見てみたいと思います👌
一宮、二宮、三宮・・・についても改めて興味が湧きましたが、出雲の国は少し変則的みたいなので、その方面に見識ある人に一度訊いてみたいと思います。

今日も勉強をさせていただきありがとうございました🙇
この後も良いお時間を・・・✌️
雄
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こんにちは 👋 😃
長い投稿を見て頂きありがとうございます 🙏目を疲れさせてしまい申し訳ございません 🙏
一宮制度は各国によっても違いがあるみたいですよ。
常陸国だと、昔は国府が現在の石岡市にあって常陸国總社宮が鎮座しています。
一之宮は鹿島神宮となっております。
また、石岡市には関東で第2位の大きさの前方後円墳【船塚山古墳】があります。被葬者は明らかにされておりませんが茨城国造の首長墓と推測する説もあります。

常陸国の延喜式内の名神大社は
鹿島神宮 (一ノ宮 ) 鹿嶋市
静神社 (二ノ宮) 那珂市
吉田神社 (三ノ宮) 水戸市
大洗磯前神社 大洗町
酒列磯前神社 ひたちなか市
稲田神社 笠間市
筑波山神社 つくば市の7社です。
以前私が投稿した櫻川磯部稲村神社は論社、

関東最古の八幡宮
大宝八幡宮は式外社です。

出雲国の一宮制度にも興味ありますね 😌

もし、とめさんが伊香保温泉 ♨️に来られる機会があれば伊香保神社にお参りをして、温泉 ♨️入浴を楽しんで365段の石段散策を楽しんでみて下さい ✌️特に温泉 ♨️はとても良い湯ですよ☺️
雄
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追記しました🙏
arioo
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雄さま
こんにちは👋😃
365段
お疲れさまです

群馬♨️
👍️ところですね

御朱印とても良いです👍

官弊社
国弊社

色々学ばせていただきました

いつも
ご投稿📷
拝見できありがとうございました。
雄
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こんにちは👋😃いつも投稿見て頂きコメントありがとうございます🙏
伊香保温泉♨️と伊香保神社
良い所でした🎵また行きたいと思います✌️