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オリジナルトピック:

慰霊の日

(06-25-2024 08:27 AM で作成されたトピック)
199 閲覧回数
モスローゼ
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平和の火
米軍が最初に上陸した「慶良間諸島の火」と
広島の「平和の灯」と長崎の「誓いの火」を3つを合わせたそうです。
残念な事に、今月中旬の大雨で浸水し、復旧工事が間に合わず、ランタンで代替えしたそうです。この写真は、22日の夕方です。「平和の火」がついてません。
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光の通路
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通路を挟んで右側が県外の方々、左側が県民の名前が刻まれています。この写真は、県外の方々の石礎。
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「平和の火」がある場所からの海の眺め
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こちらは、海外の方の名前が刻まれています。⬇
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こちらは、県民の名前が刻まれています
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「平和」の光の文字が、市役所職員やボランティアさんの手で、1つ1つ灯されていきます。
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こちらは、去年の昼の風景です。今年は夕方からしか行けず、写真を撮ることが出来ませんでした。
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コンサートをやっていました。→の方で
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水の中には、世界地図が貼り付けられています。青く丸い地球と「平和の火」
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おはようございます。
朝から、失礼します。

実は、投稿しようかどうしようか、迷いました。重い話になるし、見る方もいやかなぁと思っていました。
ほぼ毎年、行っていますが、毎日が、平和で慌ただしく過ぎて行って、普段は気にとめてません。
ただ、ここにくると改めて、唯一地上戦があった場所なんだと思い出させる場所です。

主人は、毎年この場所に来ると涙を流します。舅は、この戦争で両親、兄、弟を亡くしわずか10才で妹、弟三人で親戚の家族と身を寄せ合い、手伝いをして生き抜きました。水汲みが大変だったと笑いながら話す舅。でも戦時中の話は、決してしませんでした。多分、言葉にするのも辛かったのでしょう。
その心の痛み、苦労は今の私達には、到底分かりません。それを察し、主人は泣くのでしょう。
私の父は、戦後、南洋諸島から引き揚げてきた者です。着のみ着のまま祖母と2人。12才くらいです。親戚の家の敷地の一角を借りて暮らしたそうで、現地での財産も没収され、とても貧しい暮らしだったそうです。そして、父もまた、戦時、戦後の話は決してしませんでした。上記の話は、母から聞きました。

読んで、不快に思われた方がいたら、ごめんなさい。先の戦争で大変だったのは、沖縄だけじゃないと思われる方もいるでしょう。
だから、お互いが忘れないために、戦争が起こらないように、願い、命を大切に今を生きるそういう気持ちになります。

長文で失礼しました。
最後まで見てくれて、ありがとうございました。

帰りに、近くの海に寄りました。
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3個のコメント
DragonArms
Expert Level 5
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色々考えさせられる話をありがとうございます┏○ペコッ
ヒーロ8
Expert Level 5
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モスローゼさん

こんにちは 😃

素敵な投稿だと思います。

やはり戦争は、悲惨な光景を生み出しています。
🎶 🎶 🎶

もう戦争はいらない。を合言葉に平和運動が続くことを祈るのみです。 🎵 🎵 🎵

ありがとうございました。☺️☺️☺️
ジュンP
Expert Level 5
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お疲れ様です!
貴重なお話、有り難うございます。m(__)m
この平和を大切にしないといけませんね。