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温泉神社と九尾の狐伝説

(06-07-2022 08:09 AM で作成されたトピック)
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雄
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那須湯本に鎮座する延喜式内社
温泉神社(ゆぜん神社)に参拝に伺いました。
ここは九尾の狐伝説が残る場所です。

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【生きる】と命名された
推定樹齢800年の御神木ミズナラ

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由緒は社伝によると、
第34代 舒明天皇の御代、
飛鳥時代の西暦630年、狩野三郎行広が、白鹿を追いこの山中に温泉を発見したことにより社が創建された。
上代より温泉名を冠せし神社は、
延喜式神名帳(西暦927年)に十社を数え、当温泉神社の霊験は国内に名高く、奈良朝時代の貴族の温泉浴のことは正倉院文書によりても明らかである。従って神位次第に高まり、貞観11年(869年)に従四位上を授けられた。後世那須余一(与一)宗隆西海に扇の的を射るに当たり、当温泉神社を祈願し名声を轟かして、那須郡の総領となるや領民こぞって温泉神社を勧請し奉り、
貞享3年(1686年)6月19日正一位に叙せられた。

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拝殿


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御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)

二礼二拍手一礼で参拝しました。


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幣殿と本殿

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本殿

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那須与一と温泉神社

那須余一(与一)は那須地方の豪族である那須太郎資隆の十一男として生れました。
十一番、十あまり一で余一と命名されました。(後に与一に改名)
源義経の東国参陣の時これに従い、以後義経の騎下となって源平戦を戦いました。
有名な屋島の戦いで扇の的を射て名声を上げ20万石を頼朝公から賜わりました。
温泉神社と余一との深いつながりを表すものとして「平家物語」にはこのように記載されています。
『南無八幡大菩薩、別しては吾が国の神明、
日光権現宇都宮、那須温泉大明神、願わくはあの扇の真中射させてたばえ給え・・・』と、
凱旋の後その神恩の深いことを謝して、大社殿を寄進してその誠を表わしました。その他鏑矢、蟇目矢、征矢、桧扇を奉納しました。三番目の鳥居も余一が奉納したものです。
余一は不幸にして24歳の短命で世を去りましたが、那須氏は代々厚く温泉神社を崇敬して慶長年間に至りました。


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参拝後に頂いた御朱印

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境内にある九尾の狐を祀る九尾稲荷神社

白面金毛 九尾の狐
顔は白く、金色の毛並みをしており、九つの尻尾を持つ。また「玉面」とも呼ばれることから「白」の意味は元々「美しい」という意味で与えられた表現とも考えられている。
強大な妖力の持ち主であり、その強さは全ての妖狐の中でも最強と云われる。
『白虎通義』では皇帝の徳が良いと表れる瑞獣の一つとして記されている他、
「九」は子孫繁栄を示しているともあり、
瑞兆を示す霊獣であるとしている。

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九尾稲荷神社にも二礼二拍手一礼で参拝しました。

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殺生石と白面金毛 九尾の狐伝説

石の香や 夏草赤く 露あつし
「松尾芭蕉」

殺生石は、白面金毛九尾の狐伝説(九尾の狐伝説)として知られ、インド、中国そして日本の三国にまたがる雄大な歴史を背景に、美女や妖怪、宮中人などが登場する怪奇で広大なスケールとして描かれています。また荒涼たる殺生石の情景は多くの文人たちによって数多くの文学作品として紹介され、全国的に知られる史跡の一つとなっています。

話は平安初期の鳥羽帝の御代。
インド、中国を荒らしまわった九尾の狐は、やがて日本へ渡来、「玉藻の前」という美女に化身し、帝の寵愛を受けるようになりました。
帝の命を奪い、日本を我がものにしようとした玉藻の前は、陰陽師の安倍泰成によってその正体を見破られ、白面金毛九尾の狐の姿となって那須野が原へ逃げ込んだのです。

これを知った朝廷は、上総介広常、三浦介義純の両名に命じ九尾の狐を退治させました。狐は死して巨石と化し、その怨念は毒気となって近づく人や家畜、鳥獣をも殺し続けたのでした。
室町時代になって、これを伝え聞いた
名僧源翁和尚はこの地を訪ね、石に済度、
教化を授け、持っていた杖で一喝すると、石は三つに割れ、一つは会津へ、一つは備前へと飛んでいき、残った一つがこの殺生石であると伝えられています。
殺生石は、室町時代の「下学集」に初めて登場し、その後、謡曲「殺生石」が書かれ、江戸時代には歌舞伎等の演劇の題材として上演され、日本国中に知られるようになりました。 元禄二年(1689年)、松尾芭蕉が奥の細道で湯本を訪れたのも殺生石を見るためでした。

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2022年3月5日、
殺生石が突然割れてしまいました。
「これは九尾の狐の祟り」
「災いが起こる前兆」などと話題になりましたが、割れる数年前よりひびが確認されていたため、那須町は「自然に割れた可能性が高い」との見解を述べています。


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こちらは割れる前の殺生石です。前に訪れたときに撮影した写真です。確かにひび割れがあります。


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賽の河原
硫黄の臭いが立ち込めています。

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教傳地獄

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千体地蔵

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湯の花採取場跡

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投稿見て頂きありがとうございます



9個のコメント
緋色唯
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詳しくありがとうございます。行ってみたくなりました。コロナが収まったら行ってみます
雄
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おはようございます。
コメントありがとうございます。
ここは是非行ってみて下さい。
拝殿右側から小道を抜ければ殺生石の場所にたどり着く事ができます。

近くには湯治場の「鹿の湯」があります。
41℃~48℃までの源泉掛け流し温泉を堪能できます。硫黄泉なので匂いが気にならなければ、是非入ってみて下さい。

今日も良い1日を。20220605_160540_9441_1654412741.jpg
arioo
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御朱印いいですね😃

空気が
違う

凄いところですね
雄
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おはようございます🙏いつも投稿見て頂きコメントありがとうございます🙋
温泉神社、良いお参りが出来ましたよ☺️近くには湯治場「鹿の湯」があったので、ゆっくり入って来ました✌️
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arioo
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本当に温泉がある神社ですね
いいお湯♨️でしたでしょうね

お疲れさまでした
とめ
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真夜中にこんばんは 😃 🌃

温泉神社にお詣りさせていただきました 🙏
こちらにも温泉神社というのがありますが、そのまま「おんせんじんじゃ」と読み、13柱の神様が祭られていて、その中には大己貴命、少彦名命、誉田別命の3柱の神様も含まれています。
出雲国風土記にも記載のある古い神社ではありますが、那須湯本に鎮座されている「ゆぜん神社」のように立派な神社ではなく式内社でもないようです。
この度も九尾の狐伝説や殺生石のことなど、興味深く読ませていただきました🙇

今日も良い日でありますように 🙏
雄
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おはようございます 🙏
いつも投稿見て頂きコメントありがとうございます。
温泉神社を「ゆぜん神社」とはなかなか読みませんが、おそらく古代の読み方なんだと私個人として推測しています。

出雲の温泉神社にも大己貴命、少彦名命、誉田別命が祀られてるんですね。しかも13柱の神様とは凄い。
温泉が湧出している所に大己貴命と少彦名命が祀られている所が多いみたいですが、そもそも大己貴命は出雲の大国主神なので、温泉と何か関係性があるのかな??と思ったりもしています。

ちなみに那須温泉神社のすぐ近くには湯治場「鹿の湯」があって、
泉質は硫黄泉で41℃~48℃までの源泉掛け流し温泉を堪能できます。

今日も良い1日をお過ごし下さい 👍20220605_160540_9441_1654412741.jpg
とめ
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玉造湯神社にも大名持神、少彦名神の二柱の神様が祀られています👌
温泉神社を見てもらおうと📷探しましたが消したみたいです🙏
雄
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こんばんは 玉造湯神社もそうなんですか ️後で出雲の温泉神社調べてみます 😃ありがとうございます🙏