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英彦山神宮へ「奉幣殿編」

(05-26-2024 04:52 AM で作成されたトピック)
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おはようございます😌
本日も宜しくお願い致します🙇

先日、銅の鳥居から英彦山神宮 奉幣殿まで歩きました。英彦山神宮の表参道は、趣がある古き長い石畳や410段もの石段を通り、奉幣殿まで約1キロほどあります。表参道沿いには英彦山の歴史や文化を深く味わえる場所があり、野の花や新緑などの自然を楽しむことができます。

・御由緒、御神徳については、最後の方で...
・写真投稿の順番は、英彦山神宮からの順で投稿しております。

英彦山 参道ルート
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英彦山神宮 奉幣殿
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授与所、休憩所、手水舎
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祈願受付所
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授与所
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手水舎
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神の信仰に仏教が習合されていた為、梵鐘が残っております。
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御神水「天ノ水分神(龍神)」
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【御由緒】
英彦山は、古来から神の山として信仰されていた霊山で、御祭神が天照大神(伊勢神宮)の御子、天忍穂耳命であることから「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていました。 嵯峨天皇の弘仁10年(819年)詔(みことのり)によって「日子」の2文字を「彦」に改められ、次いで、霊元法皇、享保14年(1729年)には、院宣により「英」の1字を賜り「英彦山(ひこさん)」と改称され現在に至ってます。 英彦山は、中世以降、神の信仰に仏教が習合され、修験道の道場「英彦山権現様」として栄えましたが、明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和50年6月24日、天皇陛下のお許しを得て、戦後、全国第三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮になっています。
【御神徳】
その昔、鷹の姿をして東よりこの地に現れた稲穂の神、農業神で知られる天忍穂耳命。英彦山神宮は神様のご神徳により、農業生産、鉱山、工場の安全の守護神また、勝運の神様として古来より崇敬されています。
【御社殿並摂末社】
奉幣殿、修験道時代の霊仙寺の大講堂で、現在の建物は、元和2年(1616年)小倉藩主細川越中忠興によって再建されたものです。桃山建築様式で、以後小倉藩主によって修復されて現在国の重要文化財に指定されています。 

最後までご覧頂き有難うございます🙇


4個のコメント
雄
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こんばんは🙇
由緒正しき英彦山神宮の投稿を見せて頂きありがとうございます。

平安時代の西暦927年、
藤原時平らによって編纂された古代法典『延喜式神名帳』で、神宮を名乗る事が認められていたのは、
皇大神宮(伊勢神宮内宮)
鹿島神宮(常陸国一之宮)
香取神宮(下総国一之宮)
の三社のみで、いずれも名神大社に列せられ、延喜格式では最高位に位置付けられていました。

江戸幕府第15代将軍 徳川慶喜が大政を奉還し、
明治になると延喜格式は廃止され、
新たに『近代社格制度』が用いられ○○国一之宮と格付けられるようになりました。

英彦山神社が昭和天皇により戦後に三番目に神宮として改称されたというのはじつに興味深い話だなと思いました。

一つ勉強になりました。
ありがとうございます🙇

今後も良いお時間をお過ごし下さい🙇
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こんばんは😃
夜分にすみません🙇
コメント有難うございます。

平安時代に成立した『延喜式神名帳』では、以下三社が「神宮」と表記されていますが
皇大神宮(伊勢神宮内宮) 三重県
鹿島神宮(常陸国一之宮) 茨城県
香取神宮(下総国一之宮) 千葉県

ネット情報によると...
戦後は神社の国家管理は廃止されたため、「神宮」号を名乗る際に勅許は不要となった。しかし現在でもなお神社本庁傘下において、「神宮」を公式な社号として名乗る神社は特別の由緒を持つものに限られている。戦後、神社本庁に属する神社で「神宮」号を公式に称したのは、いずれも神社本庁の特別な承認を受けて改称した
北海道神宮(旧札幌神社)北海道
伊弉諾神宮(旧伊弉諾神社)兵庫県
英彦山神宮(旧英彦山神社)福岡県
の三社のみである。

と記載があるのですが...
平安時代に成立した「神宮(その他の神宮含む)」がないのは何故でしょうか?
神社本庁に属する神社で「神宮」号を公式に承認されていないのでしょうか?
色々と調べていくうちに分からなくなりました。

もし何かご存知でしたら、ご教授お願い致します🙇

私も色々と一つ勉強になりました。
いつも見て下さり有難うございます🙇
雄
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おはようございます

私も詳しくないのですが、

三代格式 (弘仁格式、貞観格式、延喜格式) のなかで現代までほぼ完全な形で伝えられているのは延喜式だけです。

式内社は全国に2861社あり、そこに鎮座する神様の数は3132座にも及びます。 その式内社の中にも官幣社と国幣社の2種類に分かれ、さらにそれぞれに大社と小社に分かれます。 それぞれの神社、神様の数はこのようになっています。
官幣大社198社 神様の数304座
官幣小社375社 神様の数433座
国幣大社155社 神様の数188座
国幣小社2133社 神様の数2207座

明治時代の神仏分離、廃仏毀釈によって社寺は改革されましたが、それに伴いに延喜格式は廃止になり、『近代社格制度』によって神社が等級化されました。

現在は神社本庁によって管轄されているので『神宮』号が認証されていないという事はないと思います。

八幡宮総本社の大分の宇佐神宮なども近代になってから神宮と改称されました(延喜式では八幡大菩薩宇佐宮と記されています)

神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮は、最近神社本庁を離脱しました。

ちなみに神宮の『宮』は宀に呂ですが、正式には呂にノが入らない宮になります。

皇大神宮、鹿島神宮、香取神宮は日本三大神宮となっていますが、鹿島神宮は伊勢神宮よりも創建年代が古く神武天皇が即位した皇紀元年(紀元前660年)に創建されました。
鹿島信仰(香島信仰)は神宮が創建されるよりも前から信仰されていたとも言われています。

鹿島大明神の武甕槌大神(タケミカズチ)と
香取大明神の経津主大神(フツヌシ)は藤原氏の氏神として崇敬された神です。


分かりづらい説明で長文申し訳ございません。
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おはようございます。
朝早くからコメント有難うございます🙇
お時間がない中、申し訳ございません。
ここまで、詳しくご丁寧にご説明戴き有難うございます。
私もまだまだ勉強不足ですので、詳しく調べて勉強させて戴きます。

有難うございました🙇