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12-30-2024 09:31 PM
ギャラリー神社をお参りする際には、まず手水舎で手と口を清めるのが基本的な作法の1つです。
なぜ手と口を清めるかと言うと、日本の神様は穢れを嫌われるからです。どの宗教の神様も清浄を好まれるものでしょうが、日本の神様はとりわけ穢れを忌み嫌います。
それ故、本来は海水や川などに全身を浸して身を清める【禊】をしてから参拝をするものでした。
今も島全体が宗像大社の沖津宮の境内となっている沖ノ島(福岡県宗像市)は上陸する前に浜で禊をしなければなりません
(ただし、一般の人は原則上陸禁止)
しかし、禊をするには裸にならなければなりませんし、多くの人が同時に行うのも難しいので手と口を清める事でこれに代える様になったのです。
ちなみに初めて禊を行ったのは、日本国土を生んだ伊邪那岐命(イザナギ)であったとされます。伊邪那岐命はともに国生み、神生みを行った妃の伊耶那美命(イザナミ)を生き返らせようと黄泉の国へ迎えに行きますが、すでに黄泉の国の住人となってしまった伊耶那美命の真の姿を見て驚き、地上へと逃げ帰ります。
そして黄泉の国で穢れた体を清める為に海で禊をしたのです。
『古事記』によると、
この時に左の目からアマテラス(天照大御神)、右の目からツクヨミ(月読命)、鼻からスサノオ(須佐之男命)が生まれたといいます。
代表的なものをあげると、
大国主命 (大いなる国の主の神)
大穴牟遅神 (多くの功名をたてた神)
葦原色許男神 (地上の勇者神)
八千矛神 (多くの武力を持つ神)
宇都志国玉神 (大地の神霊たる神)
などがあります。カッコの中に示した意味からわかるように、これらの名前はオオクニヌシの偉大さを表す称号です。
いかにオオクニヌシが崇敬されていたかがわかります。しかし、最初からそのように強い神様ではありませんでした。
オオクニヌシの神話では「因幡の白ウサギ」の話が有名ですが、この時のオオクニヌシは稲葉(因幡)のヤガミヒメ(八上比売)に求婚しに行く八十神と呼ばれる兄たちの荷物持ちをさせられていました。
ところが、白ウサギを助けた知恵と優しさからヤガミヒメの結婚相手に選ばれました。
逆恨みした八十神たちはオオクニヌシに迫害を加え、2度も死に至らしめます。
母神の献身で復活は遂げましたが、さらなる迫害を恐れて根の国のスサノオ(素戔嗚尊)のもとに逃げることにしました。
スサノオはいくつもの試練を与えますが、オオクニヌシはそれを乗り切りスサノオの娘のスセリビメ(須勢理毘売命)と宝物を持って地上に戻ります。
そして、八十神を討って地上の王になりました。その後、オオクニヌシはスクナビコナやオオモノヌシの力を借りて地上の開発に務めます。
ところが、アマテラスが地上の統治は自分の子孫がすべきだと考え、国を譲るよう使者を送ってきたのです。
しかし、もともと日本の国土は 伊邪那岐(イザナギ)、 伊邪那美(イザナミ)によって生み出されたものですから、その御子で後継者でもある天照大御神(アマテラス)が統治すべき場所だといえます。そこでアマテラスはオオクニヌシに対して統治権の譲渡(国譲り)を迫る使者を送りました。
ところが、使者たちはオオクニヌシに懐柔されてしまい、天上界へ報告すらしないという有様でした。
そのようなことが続いたため、アマテラスは実力行使をすべく武神の派遣を決めました。
奇妙なことに、『古事記』と『日本書紀』で派遣された武神が違っています。
『古事記』では武甕槌大神(タケミカズチ)が派遣されたとありますが、
『日本書紀』では経津主大神(フツヌシ)が派遣されることになったがタケミカズチが不満を述べたので副将とされたとあります。
『古事記』をもとに話を続けますと、
出雲の稲佐の浜に降りたタケミカズチは逆さに立てた剣の上に座ってオオクニヌシに国譲りを迫りました。これに対しオオクニヌシは御子たちに聞いて欲しいと言い、その一柱のコトシロヌシ(事代主)は国譲りに賛成しましたが、もう一柱のタケミナカタ(建御名方神)はタケミカズチに力比べを挑みました。
しかし、若い葦の葉を扱うように投げ飛ばされてしまい、信州の諏訪に逃げ込んだのでした。これを見たオオクニヌシは国譲りを承諾し、代わりに立派な宮を造って欲しいと言ったのです。
その願いに応じて造られたのが杵築大社(出雲大社)だと言います。
しかし、『出雲国風土記』では出雲の神々がオオクニヌシのために造ったとされています。
国譲りで登場した武神達と、お祀りしている主な神社
武甕槌大神 (鹿島大明神)
常陸国一之宮 鹿島神宮 (茨城県鹿嶋市)
春日大社 第一殿 (奈良市春日野町)
経津主大神(香取大明神)
下総国一之宮 香取神宮 (千葉県香取市)
一之宮 貫前神社 (群馬県富岡市)
春日大社 第二殿
建御名方神
諏訪大社(長野県諏訪地方)
因みに杵築大社とは現在の出雲大社の事。延喜式神名帳には出雲国出雲郡に「杵築大社」とあり、名神大社に列する。明治維新に伴う 近代社格制度により、明治四年(1871年)に現社名に改称された。
神社へのお参りの仕方は大きく2種類に分けられます。
拝殿の前で鈴を鳴らし、お賽銭を奉納して行う一般的な方法と、拝殿に昇殿して奉呈して行う正式参拝です。
いずれの場合も二拝二拍手一拝の作法で拝礼をします。より丁寧に行う場合は、二拝二拍手一拝の前後に揖(会釈)をします。
実は近世までは作法が定まっておらず、さまざまな方法で参拝が行われていました。そのなかで比較的普及していたのが両段参拝でした。両段参拝とは両段(二度頭を下げる事)
を二度繰り返すことを言います。
今の作法に倣えば二拝二拝ということになります。これをもとに明治時代に二拝二拍手一拝の作法が考案され、戦後になってこれが正式な作法として広まったのです。
もともと拍手は高貴な人に対して敬意を示す礼法でした。貴人に対する礼法としての拍手は平安時代には廃れてしまいましたが、神社の参拝作法として残り、今に伝わっているのです。
伊勢神宮の神職が行う八開手(やひらで)という作法は、古代の最高の礼法に由来するものといわれています。
今も特殊な参拝法を伝えている神社もあります。出雲大社もその1つで、二拝四拍手一拝が正式な参拝法となっています。
なお、参拝の際の拍手を柏手(かしわで)ともいいますが、これは拍手の「拍」を「柏」と誤記したことによるとされています。
因みに、二拝四拍手一拝の参拝法を行う神社は他に、宇佐神宮、彌彦神社などがあります。
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12-30-2024 11:12 PM
ギャラリーこんばんは
六本木
⛩️
行かれたのですね
ご祈祷はされましたか
良い
ご参拝なされ
お疲れ様でした
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12-30-2024 11:14 PM
ギャラリー無事に参拝出来ました☺️
御祈祷はしてないですけど ariooさんはしたのですか??
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12-30-2024 11:20 PM
ギャラリーお伺いしました
⛩️
祓社
はらいのやしろ
その後
お参り⛩️
御朱印で社務所へ
少ししたら
ご祈祷できます
お話しありましたので
お部屋案内ありました
ご祈祷していただきました
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12-30-2024 11:21 PM
ギャラリー御祈祷出来て良かったですね☺️また参拝に行こうと思ってます👍
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12-30-2024 11:27 PM
ギャラリー良いお時間
お過ごしでしたね👍️
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12-30-2024 11:21 PM
ギャラリー六本木が近く
お参り出来ました
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12-30-2024 11:26 PM
ギャラリーお疲れ様でした🙇
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12-30-2024 11:26 PM
ギャラリー投稿忘れて…
赤坂日枝神社⛩️
⬆
⛩️のみ投稿してました
出雲大社東京分祠…😅
忘れてました
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12-30-2024 11:27 PM
ギャラリー